教育社会学の勉強・備忘録

教育社会学のお勉強メモ。Macユーザーのための記事もたまに書きます。

生まれて初めて研究活動をしてみて思うこと

何のためになるかはわかりませんが、将来思い返した時にもし役立つように(何にだろうかわからないけど)、一応書き留めておきます。

研究活動一般の問題というよりは、社会科学研究固有の問題と言えるのかもしれませんので、そこはご留意を。

僕の卒論研究は、内容が「教員組織」と「教員の能力」で、方法が「インタビュー」と「文献調査」(と「量的調査」を少し)です。

まだ一応論文は未公開ということで(というか書き始めてすらいないので)、詳しい内容はこのくらいにしておきますが、調査を開始するにあたって不安に思うことがいくつかあります。

  1. 「教員の世界ではみんな知っていること」をいまさら取り立てて書くことになりはしないか?(研究者だけが「新発見!」と喜んでいるのは滑稽ではないか?)
  2. そもそも未知の世界(教員の世界)に生きる人びとの意味世界を知るために、インタビューだけで過不足なく捉えらきれるか?エスノメソドロジーくらい根気を入れないとするならば、どこで妥協すればいいのか?
  3. 社会学研究として面白い論文になるか?状態の記述で終わりはしないか?そもそも社会学の面白い研究とはなにか?
  4. インタビュイーの気持ちに配慮するとあまり書きにくいようなことをどう書くか?

これは調査内容と調査方法に依存した不安なんだということはわかります。

特にインタビュー調査のような質的調査というものは、確かにインタビュイーの意味世界を掘り起こすという目的のもとでは最適ですが、それだけでは不足がある気がして、さらに意味だけでなく事実を確認するためには、傍証データを持ってきて「裏を取る」*1のが重要であって、そのためにマルチメソッドとかトライアンギュレーションのような、方法論を組み合わせる研究手法が取りざたされるわけです。

といっても研究資源(インタビュイーの時間も、自分の時間も、お金も)には当然限りがあるわけですから、どうにかよしなにしないといけない。

ただおそらくこの不安も杞憂で、大学教育がそこまで言語化して学生に教えるというものでもなく、どちらかと言えばもう大学4年にでもなれば諸先生方やいろいろな論文の業を盗むようにして研究の「やりかた」(技法もレトリックも計画の仕方も全部ひっくるめてのカッコ付き)を学ぶもんなんだろうな、と思います。

そもそも研究の「やりかた」は言語化できるようなものじゃないのかもしれませんし、優秀な研究者とそうでない研究者の分かれ目はそういったよくわからない能力の高低なんだろうなとも思います。

なので、あんまり不安だ不安だといってどうしようどうしようと狼狽してても仕方ないな、と。

至極当たり前の結論でした。

*1:佐藤郁也、2006、『フィールドワーク―書を持って街へ出よう』新曜社