教育社会学の勉強・備忘録

教育社会学のお勉強メモ。Macユーザーのための記事もたまに書きます。

卒論を書きながらずっと念頭に置いていたこと

必然的に導かれ得ないこと以外を書かない

卒論を書いている間は自分でも気づいていなかったけど、どうやら無意識に念頭に置いていたことがあった。

それは「必然的に導かれ得ることだけを書く」ということだ。つまり「必然的に導かれ得ないこと以外を書かない」ということだ。

これは面白い論文を書くことはとりあえず忘れて、「この論文はデタラメを書いてはいないな」と評価されるために必要な態度のことだ。だが論文を書く上で最低限必要な態度だ。

「必然的に導かれ得ること」とはつまり、「いくつか前提となる命題があった場合に、論理的な操作を踏んでのみ得られる結論」ということだ*1

これはものすごく自明で、誠実に論説文なんかを書こうと思ったら当たり前に重視されるべきようなものだけれども、みんななかなか実践しようとしていない感じがある。つい先ごろ読んだ岩波新書もそうだった。「わかっちゃいるけどできない」ことの典型例だろうか。

ちなみに、こうした意識は社会科学と自然科学ではまた違った意味を持つと思う。それについてはまた別の機会に書ければと思う。

論文の章立てと論理

そしてこの意識は、今回自分の書いた卒論の章立てにも自然に現れていたことに気づいた。

  • 1章では問題関心、研究の目的、研究の意義を述べる。
  • 2章では先行研究の検討を行う中で、2つのことを行う。1つは誰もやっていないということを確認すること、もう1つはこれまでに確認されている命題をいくつか紹介すること。
  • 3章以降で自分の手に入れたデータを開示する。
  • そして終章。
    • 1節で、先行研究から提示された命題と、自分の手に入れたデータを、全て一列に並べる。これを前提とする。
    • 2節で、そうして揃った前提から、導かれ得る結論を導く(ここで前提が足りないと気づいた場合は、2章とは別に必要な先行研究を引っ張ってくるのもアリ)。
    • 3節では、これまでに述べてきたこと全てに加えて、こういう仮定を置いたなら、こういう結論がもしかしたら出るかもしれない、という試論を行う。
    • 最後に、今後の課題を述べておく。

論文によっては、2章から終章まで、これまで知られている命題の提示→それらから導かれる論理的な結論の提示→さらなる命題を他にも提示→これと前述の結論をあわせてさらなる結論の提示…という進め方をしているものもある。これがいわゆる「理論系の論文」というやつだろうか。

得られた教訓

こうして論文構成というものを考える中で教訓として得たものは以下のようなことだ。

  • 「先行研究の検討」とは、先行研究の読書感想文を報告することでもないし、先行研究を読んだというアピールをすることでもない。そして、先行研究をブチのめすことは必ず行うべきだが、それだけではなく重要なことは、自分の論文で目標とする結論を導くために足りない命題を用意することを助けてもらう、ということだ。
  • 先行研究で示された命題と、自分の調査・データで示された命題から、結論を論理的に導く。それが現実世界と違うように思われる結論だとすれば、疑うべきは、1つに論文の中に論理の飛躍(=必然的に導かれ得ない結論を導いている)がなかったか、もう1つに最初に揃えてきた先行研究による命題や自分が調査・データで示した命題が現実世界と違っていた、という2つである*2。論理的推論が間違っていないかどうかと、用意した命題がそもそも現実世界と違わないかどうか、という2つの点検をするということである。
  • だから先行研究は大事だ。自分の持っているデータだけが大事なのではないし、自分の持っているデータだけから何か面白い結論を導くのはやめたほうがよい。たぶん並の人間にはそれは無理だ。

(「現実世界と違う」ということはどうやって評価するんだ、ということについては、まだ考えが及ばないので、とりあえずマジックワードということにしておきたい。)

さて、どんな論文でも、必ず論理的なアラ(粗)がある。結論を必然的に導けるような命題が足りていない、論理的に飛躍がある、などなど。アラを0にすることは不可能だが、しかし、アラが少なければ少ないほど良い論文となる可能性が高く、アラが多いければ多いほどそれだけで良くない論文と判断される可能性が高くなる(と思う)。

アラのあるなしは程度問題であって、このアラが一定の閾値を下回ると初めて、投稿論文なんかの審査の対象として堪えうるものになるんだろう。そしてようやく、面白いかどうか、という別の評価軸からの評価をすることが可能になるんだと思う。

今度はその「面白いかどうか」とはなにかについて考えられる余裕ができればよいな、と思う。

*1:命題論理的に書けば、いくつかの前提とは例えば A, A→B であり、結論は B である。A, A→B という前提から C や D は導かれ得ず、Bのみが導かれ得る。

*2:この2つしかないことは記号論理学的に証明できたような気がする