「社会学は何の役に立つのか」という質問への、1つの答え方
Q. 人にはそれぞれ個性があるのに、それを無視して一緒くたに考えてしまうような学問である社会学は、人間の理解に役立つのですか?
A. 社会学は人が集まってつくる抽象的なもの・考えについて考えます。「抽象的なもの・考え」とは、物質として認識され、指をさして示すことができないようなもの、例えば、歴史、文化、国家、宗教、会社、学校、家族、政党、日本人、オタク、アニメ、などなど、―「概念」と呼んだ方がしっくりくるかもしれませんが―このようなものを含みます。
社会に生きる人びとがそういった「抽象的なもの・考え」を気にせずに生きているなら社会学はいらないかもしれませんが、実際にはそうではありません。「個性を無視して一緒くたに考える」ことは、私たちは日常的に行なっています。
例えば「家族」という言葉は普通に理解され、日常会話に出てくる言葉ですが、自分が所属している家族以外の家族がどれだけ異質なものであるのかは、みな良く知っていることではないかと思います。それにも関わらず、個々の家族の個性―それは個人の個性にも幾分か由来するものですが―を「無視して一緒くたに考えて」、家族というものは語られます。
さらには、そうしたある「抽象的なもの・考え」を単純化して、内部にある個性を「一緒くた」にしてしまうことは、個人の行動や思考に大きな影響を与えることさえあります。肥大したステレオタイプが暴力に帰結してしまった経験を、歴史は数多く見てきました。
そうした「抽象的なもの・考え」それ自体について、もしくはそれについて思考することが人びとの行動や思考にあたえる影響について、科学的な手続きを踏まえて議論することは、人間の理解のために十分に役立つのではないでしょうか。
つまり社会学とは、普通の人*1もごく普通に社会を論じているけど、それをもうちょっと厳密にやってみよう、という試みの1つなのではないでしょうか。
もっとも、過度な一般化(過度な個性の無視)は当然避けるべきであり、それは社会学の課題として常にあります。しかし少なくとも社会学は、普通の人が「一緒くた」にして考えてしまうような個性の存在を、普通の人がイメージしているよりかは、敏感に察知しようと努力をしているのではないかと思います。
もしこう質問されたら、自分だったらこう答えるかな、という答え方です。
実は、「社会学は何の役に立つのか」という記事のタイトルから、本文では「社会学は人間の理解に役立つのか」という質問にすり替えているので、ちょっとズルい感じはしています。
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*1:社会学に触れたことがない人、という程度の意味です